サボり癖と父の愛
今週のお題「サボる」
『サボる』で思い出した昔の出来事。
小学生の頃、毎日音読の宿題があった。
音読を親に聞いてもらい、読み終えたらサインをもらう。
最初の頃は真面目にやっていたが、だんだんと面倒くさくなり、その内にやらなくなった。
そう、得意のサボりだ。
しかし音読表なるものを毎日提出しなければならない。
親のサインが必要だ。
私は必死に練習した。毎日書いてくれていた父のサインを。
『よく読めました ○○(←名字)』というもの。
縦書きでとても達筆。
ノートにひたすら練習。
手間がかかるが、習得すれば明日以降は格段にラクになる。
言わば先行投資だ。
サボるための努力は惜しまない。
何度も書く。縦に繋がったような文字。父の字はとてもキレイだ。
大人になればこんな字が書けるようになるのだろうか。
そんな期待を胸に抱きながら書いているうちに、だんだんと上達してきた。
音読表に書いてみる。
うんうん、まぁいいだろう。
翌日からは練習なしのぶっつけ本番を繰り返す。
更に上達していったが、所詮は子どもの字。
達筆と達筆風では雲泥の差だ。
先生もきっと気付いていたことだろう。
しかし能天気な私は、指摘されなかったのをいいことにそれから数年間、音読の宿題がなくなるまでそれを続けた。
そして、大人になった私はあの頃抱いていた期待とは裏腹に、父のような達筆な字にはなれなかった。
“サボる”というテーマからこの時のことを思い出した私は、今日の仕事の休憩中、なんとなくもう一度書いてみた。
『よく読めました』
大人になって、父のようなキレイな達筆な字を書けるようにはなれなかったが、この一文だけならそれっぽく書ける。
フフッ
なんだかおかしくなって笑みがこぼれたその時、今度は突然涙がこぼれそうになっていた。
父っぽい字に、亡き父の笑顔と声が重なった。
“よく読めました”
ただの定型文なのに、この一文に父の愛情を感じた気がした。
癌が判明した時には既に末期で、病気がわかってから一年余りで亡くなってしまった父。
なにも返せないままだった。
父のような人になりたいと思いながらまだ到底追い付けない。
まずはスラスラと美しい達筆な字が書けるようになれるよう練習しようかな。
…………………。
うんきっとまたサボるでしょう。
私のことは私が一番よく知っている。
うん。サボるね。確実に…。
父よすまん。
それが私(´・c_・`)
It'sme!!!!!!👏