夏の変質者
過去を振り返ると、思い出すのは子どもの頃のことばかり。
それほどまでにあの日々は刺激に満ちていたのだろう。
今ではただ忙しさに追われ、淡々と過ぎていく日々。
あの頃の日々は懐かしく愛おしい。
しかし楽しい思い出ばかりではない。
毎日うだるような暑さとセミの声。
ふと思い出した嫌な記憶。
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
あの日私は近所の神社で友人と遊んでいた。
神社と言ってもブランコや滑り台もあり、ボール遊びもできる程広い。
あれは午後4時頃だっただろうか。
私たちは小学2年生くらいだったかと思う。
2人で楽しく遊んでいたところになにやら1人の青年が近づいてきた。
17,8歳くらいだろうか。
なんとその青年が私たちの元に来て放った言葉が…。
『遊ぼう』
((((;゜Д゜)))
((((;゜Д゜)))
((((;゜Д゜)))
(いやだ!絶対にいやだ!何して遊ぶの!?少女二人と青年が!?)
と超絶に拒否ろうと思いながら友人の顔を見ると友人が何か言おうとしている。
(ありがとう断ってくれるんだね頼んだよ(´;ω;`))
そう思いながら地面を見つめてじっと待つ。
友人が青年に応える。
『いいよ!』
((((;゜Д゜)))
((((;゜Д゜)))
((((;゜Д゜)))
(え!?まじで!怪しすぎんじゃん!やばいよ!友よ!あんたの明るくて素直で誰とでも仲良くできるとこが大好きさ!でもさ!今は違うじゃん。この人はさ!違うじゃん!絶対に!)
私がそんなことを考えてる間に、友はすでに青年と遊んでいる。
滑り台を一緒に滑っている。
そう。
文字どおり“一緒に”滑ってる。
(ほら。やっぱそういう人じゃん。どうすりゃいいんだ。さすがに友も困っている。)
次はブランコに乗るらしい。
青年が先に乗り、私たちを呼ぶ。
“一緒に”乗ろうということだ。
友と顔を見合わせる。
友に2度も嫌な思いをさせるわけにはいかない。
私が行くしかない。
『遊ばないの?』
青年が言う。
覚悟を決めて一歩踏み出す。
ブランコに“一緒に”乗る。
ただただ耐える時間が過ぎる。
(この後一体どうなるんだろうか………。)
一抹の不安を感じ始めたその時、誰かが神社に現れた。
青年がサッとブランコから降りる。
それは私たちの同級生の男の子だった。
たいして仲良くはない。
近所ではないから1度も遊んだこともない。
しかし!この状況では救世主だ!
一か八か声を掛ける。
『あれ?○○じゃん。なにしてんのー❓️❓️』
向こうもたいして仲良くはない、1度も遊んだこともない私たちに声を掛けられ、少し戸惑っている。
『おっおう』
私と友人は、同級生の元に駆け寄る。
青年は止めないし追ってこない。
そのまま走って家に逃げ帰ってもよかったが、付いて来られたら堪らない。
家には誰もいない。
とりあえず同級生と友人と私で遊ぶことになった。
仲良くもない同級生になんだかよくわからない遊びに付き合わされ、楽しくはなかったが、青年と遊ぶよりは断然にましだった。
だってつまらないけど不快ではないから。
青年はなにやら賽銭箱を弄ってたようだった。
極力気にしないようにしてつまらない遊びに没頭した。
同級生の彼は、家も遠いはずだしなぜ1人で神社まで遊びにきたのか謎だがあの時の私たちは確かに彼に助けられた。
だんだんと暗くなり始め、帰ることになった。
青年はいつの間にかいなくなっていた。
家に帰り、親が帰ってきてもその日の出来事は話せなかった。
青年と“遊んだ”こと。青年の言葉、息づかいまでもが未だに薄気味悪く残っている。
繊細な子ならきっと傷つき、トラウマにもなっただろう。
幸い私も友も図太かったようで、その後特に気にすることもなく、あの神社でも変わらず普通に遊んでいた。
あれ以来青年に会うことはなかった。
特に心に傷は残っていないが嫌な記憶として残っている。
気にはしていないが、我が子がこんな経験をしたらと思うとゾッとする。
“誰とでも分け隔てなく仲良くしよう”
子どもの頃はそう教えられ育ったと記憶している。
今思うと果たしてそれは正しいことなのかと甚だ疑問に思う。
いじめは良くないが、誰とでも仲良くする必要はないのではないか。
少なくとも私は“みんなと仲良く”とは我が子には言いたくない。
“誰とでも仲良くする必要はない”
“必要であれば距離をとりなさい”
そう伝えたい。
子どもが被害に合う、事件や事故のニュースは嫌でも耳に入る。
どうか子どもが安全に健全に育つことができる世の中であって欲しいと願うばかり。
心から。